祖父の内臓を見た日

 まさか祖父の内臓を、それも前立腺と膀胱を見ることになるとは思わなかった。

 日がどっぷりと沈んだ頃、俺を含む家族は皆、病院の一室で椅子に座っていた。祖父の手術の結果を聞くためだった。部屋は適度な温度で保たれていて、蛍光灯の明かりが部屋全体を白っぽく照らし、無機質な印象を与えていた。

 五分ほど経つと、手術を終えた医師が収納ボックスのようなものを両手に抱えて部屋に入ってきた。箱をテーブルに置き、こちらに一礼すると、「ご覧になりますか?」と箱を指差した。俺たちは静かに首肯した。

 医師が箱の上部を開けて、俺は中を覗きこんだ。摘出された祖父の前立腺と膀胱があった。子宮に似ているな、と俺は思った。保健体育の教科書に、子宮の構造を図解したイラストがあったが、そこに描かれていた子宮に似ていたのだ。

 病巣は縦に二十センチ、横に四十センチ近くあり、俺が想像していたよりもずっと大きかった。所々に付着している鶏皮のようなものはリンパ節だろうか。祖父の臓器はザクロのような赤色をしていて綺麗だった。

 むき出しの内臓を前にしても、嫌悪感や嘔吐感などは一切なかった。無機質な部屋の中で病院の照明に照らされる祖父の臓器は、美術館の展示品のようだった。祖父の身体を蝕んでいた悪魔の、そのフォルムの美しさに、俺は思わず心の中で感嘆の声を漏らした。

 病巣の確認が終わると、医師は箱の蓋を閉じて、口頭で手術の成功を俺たちに伝えた。心の中で膨張していた風船の空気が抜けたのか、皆が安堵の溜息をついた。そして手術の具体的な内容や今後の経過などを、医師は淡々と説明した。

 医師の説明が終わると、俺たちはエレベーターに乗り込んで祖父のいる集中治療室に向かった。集中治療室の扉を抜け、左手の手前側のベッドを覗くと、虚ろな目をした祖父が仰臥していた。人工呼吸器を付け、両腕から点滴の管を伸ばす祖父の姿は、横たわる操り人形に見えた。

 ベッドの背後にあるモニター心電図はピッピッという音を鳴らし、正常な値を表示していた。男性の看護師が俺たち家族に挨拶し、どうぞ声をかけてあげてください、と言って柔和な笑みを浮かべた。

「お父さん、わかる? よく頑張ったね」

 顔を近づけて祖母が声をかけた。祖父はうわ言のような言葉を二、三つ発すると、「俺は、生きてるのか?」と尋ねた。

「生きてるよ、良かったね」

「そうか……」閉じかけていた目をさらに細めながら、祖父が囁くように言った。

 家族が一人ひとり祖父に話しかけると、そのたびに彼は反応した。入れ歯が無いので祖父の言葉は不鮮明だが、きちんと返事をしている。大きな手術をした直後なのに、こちらの呼びかけに答える祖父のバイタリティに、俺は感心した。

 手術の際、血が大量に流れ出たため、握った祖父の手は冷たかった。何度か手を握り、しばらく祖父の顔を眺めてから、俺たちは病院を後にした。

 

「生死の境を彷徨うと、三途の川やお花畑を見るってよく言うだろう。あれは本当だったんだな」

 ベッドで横になったまま顔をこちらに向けて、祖父が言った。手術から三日ほどした、暖かな春の午後だった。

「川の向こうで誰かに呼ばれたの?」俺は祖父の目を見て言った。

「ああ、死んだばあちゃんの声がしたんだよ。『あんたはまだ早いからお帰り』って言ってたな。で、気がついたらベッドの上だった」

「追い返されたんだね」

「そう、追い返された。あと、お前たちの声もしたよ」病室にいる家族を見回しながら祖父が呟いた。「不思議な感覚だったなぁ、あれは……」

 良かった良かった、と言って俺は祖父の手を握った。祖父の筋っぽい手は温かく、この人は生きているんだな、と俺は実感した。